2016年08月15日
「森の入口」あらすじ〜「高江N1裏テント村」ができるまで〜

こんにちは、初めまして。
皆様ちゃーがんじゅーですか?
内地のお盆は8/13-15、
沖縄の旧盆は8/15-17、
どちらもお盆になりましたね。
それで、14日〜18日は工事中断ということで
テント村も公式行事(?)の集会などはありませんが
それぞれドタバタしています。
そのスキに、
「高江N1裏テント」からのブログを始める事にしました。
ご家族、親戚、ぐそーから帰省中のご先祖もうち揃てぃ、
森の入口からの声を聞いて下さい。
改めて、「何が起こっているの?」
詳しくは「ヘリパッドいらない住民の会」ブログ
http://takae.ti-da.net
↑こちらに、ここまで続いて来た内容やリンクがあります。
◆「住民の会」と別のブログを作る理由◆
住民の会ブログのニュースはフォローしつつ、
こちらはテントに特化して、
平和運動のリーダー・山城ヒロジ氏が毎朝の集会で伝えるような、
「昨日のまとめ」や「全国に発したいニュース」がメインです。
それを発信する為のツイッターも作りました。
http://twitter.com/takaetent
そしてその日、高江付近にいるキャスメンのマルチ画面を作り、
広い現場のどこかで何かあっても見逃さない体制を作りたいと思っていた所、
既に作って下さっている方々がいらっしゃったので
こちらをご覧下さい。
http://cocode.chu.jp/live1/
この2つに限ってみてもお分かりの通り、
ここに表現されるのは主に「運動」の現場であり
通常の「高江の風景」ではないので、
このようなテントやN1ゲート前での動画を
住民の会として出し続ける事は
高江を「運動の現場」としての印象を強くしてしまうのではないか。
という懸念から、情報の発信について悩んで来た経緯があります。
私たちの支持する「運動」とは
住民たちの「普通の暮らし」を守る為の行動を指します。
ヘリパッドに反対している住民達自身が
毎日生活を犠牲にしてまで座り込まなくても、
日々の農作業や子育てをしながらも、
目の前でヘリパッドを作られて行く事がないように最大の支援をし、
最終的にはその「運動」の必要のない
「普通の暮らし」を取り戻す事が最大の目的です。
これまでも、これからも、
「やんばる」「高江」という素晴らしい環境や人々を愛し、
「住民達と共にある運動」を目指しつつ、
その中でも「住民の目線」と「運動の目線」を分けたこのブログを作ることにより、
これまでより更に具体的な行動提起や情報伝達を行い、
県内外や海外から注目し情報を求める人達へ、
適切な情報をお届けする為の「掲示板」的な役割を果たす事で、
「運動」の繋がり広がりを少しでも大きく高め、
1日も早く「運動」の必要のない
「普通の高江」を取り戻していきたいと考えています。
<沖縄戦後の内、たった20年の歴史あらすじ>
1996年、「日」「米」政府による
「沖縄の米軍基地負担軽減」を謳ったSACO合意。
蓋を開けてみれば
「使い古した基地の代わりに新しい土地を出せ」
1996年、「普天間の代わりに辺野古を出せ」
現在も続くこの問題は地域を分断し続けて来た。
2007年、「北部ジャングル訓練施設の過半と引き替えに
高江集落周辺に6つの新しいオスプレイパッドを作れ」
東村高江区民は新聞報道で初めて知る。
2度の「新基地反対」全会一致の反対決議を出したのに
何度も陳情や誓願や抗議をしてきたのに
防衛局長は「オスプレイが来るならお知らせする」と言ったのに
説明もなく工事作業を始めようとするから座り込んだら
「通行妨害」として国が子ども含む個人15人を訴える、
世界で禁じ手とされている「SLAPP裁判」まで手を出した。
2014年にはN4の2つが完成し、2015年提供開始。
つまり、「負担軽減」の前に、既に2つ増やされてしまった。
今日も早朝から夜遅くまで低空飛行している。
2016年7月10日、
「新基地反対」の伊波洋一参議院議員が
「新基地推進」の現役大臣を下したその翌早朝から
県道70号線沿い、国頭村境近くの「N1」の資材の強制搬入が始まり、
全国から500人の機動隊員を動員して
非暴力で座り込み抵抗する人達に激しく暴行を加えながら、
強制排除して工事が始まった。
それでも次の森の入口は奪われたくない住民と
その支援者達が「N1裏」テント村を開設した。
そのテントからの便りです。

Posted by 東 高江 at 22:22│Comments(0)
│N1裏テントができるまで
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